勇者と魔王を名乗る2人が目を覚ました翌日――
クリストファーはいつものように王宮へと出勤をした。
今日で25連勤目か。
さすがに少しは羽を伸ばしたいが、今はそれどころではない。
王は私達騎士団の存在を知りながらも、この世界を救う救世主の出現を切望していた。
疲れたなどと口にしている場合ではない。
一刻も早く王の信頼を勝ち取り、安心していただかねば。
とはいえ、体は正直なもので疲労は限界に近かった。
昨日目を覚ました2人は、ここに来る前まで命を懸けた争いをしていたという。
あの場で再び戦いが始まれば、この国に多大な迷惑をかけることになっただろう。
幸い、2人は見ず知らずの王国で無用な衝突を避け、一時休戦を選んでくれた。
いや、まてよ。
もしあの場で2人が激突していたら、私が横から割り込んで両者を制圧し、その実力が明らかに自分の方が上であることを証明できたはずだ。
その結果、王は私に対する信頼を取り戻してくれたのではないだろうか?
…勿体無いことをしたな。
そんなことを考えながら歩いていると、いつの間にか王宮の正門前に到着していた。
左右に立つ衛兵の甲冑には、氷の紋章が煌めいている。
今日の警備は、どうやら私の隊が担当しているらしい。
「ご苦労。何か変わったことはないか?」
私が声をかけると、衛兵たちは胸を張って応えた。
「今のところ、警備には特に異常はございません…ですが」
「どうした?警備以外のことで何かあったのか?」
「一昨日、王宮に現れた2名なのですが…土の騎士団のレビン騎士団長が、勇者と魔王を名乗る者の実力を見たいと申しまして、30分ほど前に2人を連れて訓練場に向かったようです。王との謁見まで、まだ3時間もあるからと」
「なんだと!」
またレビンの勝手な行動か。
奴は自分の思い込みで動くことが多く、統率力に欠ける騎士団長だ。
「わかった。知らせてくれてありがとう。引き続き警備を頼む」
部下に軽く会釈をして、私は訓練場へと足を速めた。
レビンはいつも自分勝手だ。
戦場でも騎士団長の自覚は薄く、最前線で大将首を狙い武勲を立てることに夢中になる。
結果を出す一方で、部下の統率を失い、命を落とす者も多い。
あんな奴が騎士団長でいていいはずがない。
いつかは必ず、土の騎士団も私の手に入れてやる――そう心の中で誓った。
とはいえ、2人の実力をこの目で確かめたいという好奇心も捨てきれない。
もし救世主としての実力がないようなら、王の謁見を待たずに私がこの国から追い出してやろう。
訓練場の前に到着する。
扉を押し開けた瞬間、そこに広がる光景に、思わず息を呑んだ。
地面に伏せる騎士たちの群れ――
その数、20名以上。
しかも全員、土の騎士団の精鋭だ。
そして、訓練場の中心に立つ一人のジーク。
木刀を握り、微動だにせず静かに佇む姿は、あまりにも威圧的で、空気さえ震えて見えた。
「こ…これは一体…」
私の視線に気付いたのか、ジークはふと顔を上げ、爽やかな笑みを浮かべた。
「おはようございます。クリストファーさん」
ジーク――彼はまるで何事もなかったかのように、穏やかな表情で挨拶をしてきた。
「これは…ジークさんが…?」
「あ…えぇ。レビンさんが私たちの実力を見たいとのことでしたので、土の騎士団の方々と1人ずつ順番に木刀で稽古をしていただけです」
「くっ…」
その言葉に、レビンがうずくまったまま苦笑いを浮かべる。
お腹を抑えながら、どうにか起き上がろうとする姿は、痛々しいほど力なく見えた。
「はっはっはっ!クリストファー!こいつぁすげーぜ!俺たち土の騎士団の精鋭でも勝てなかった!正真正銘の勇者だ!」
レビンの声は訓練場中に響き渡り、高笑いと共に空気が震えた。
そんな馬鹿な…。
レビンは確かに口うるさいが、戦場での腕は本物だ。
その彼を含めた精鋭たちを相手に、青年は一切の傷を負わず、ただ立っているだけだ。
よく見ると、ジークの体には昨日の戦いの傷跡しかなく、新しい傷は1つもない。
土の騎士団の精鋭を20人以上も相手にして無傷。
レビンが言う「勇者」の意味が、痛いほどよくわかった。
「レビンさん。あなたの剣術も相当なものですよ」
ジークは柔らかく微笑みながら、静かに告げる。
「はっ。お世辞はいらねぇよ。手負いのお前に、一太刀も浴びせられなかったんだからな」
レビンの笑顔は、完膚なきまでに敗れた後の清々しさのような、不思議な満足感を帯びていた。
その様子を見ると、あの男も戦の楽しさだけは真剣に味わっていたのだろう。
「おい。クリス。お前も闘ってみるか?」
レビンは私に冗談交じりに提案してきた。
冗談じゃない。
私の実力はレビンと同等か、少し劣るぐらいだ。
私が太刀を振るったところで、骨の髄まで打ち砕かれるに違いない。
「いや、この場はやめておこう。王の謁見前に、下手な体力は使いたくない」
上手く言い訳して、私はその場をやり過ごした。
まさか、勇者の実力がここまでとは…。
しかも、あの女の魔王も勇者と互角に戦ったという話だ。
つまり、彼女も同等の実力を持つことになる。
訓練場の隅で、女魔王は退屈そうに腕を組み、私たちのやり取りを冷ややかに眺めていた。
なんということだ。
この2人は、私が想像していた以上に強大で、私の力は遠く及ばない。
クリストファーの胸中には、どんどんと重く、息苦しい焦燥感が積み重なっていった。
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